いまだ!神さまにすがろう!

人も自分も頼りにならない!もう神さましかいない!

スポンサーリンク


【61】国宝の観音様がいらっしゃる! 聖林寺に行ってきた その2(終)「十一面観音菩薩」(奈良)

スポンサーリンク

f:id:kamisama-ni-sugaro:20190307061249j:plain

(続き)お堂の向かって左側に、観音堂への案内板を発見。

案内されるままそちらに歩いていくと、今までの木造の本堂とはまるで雰囲気の違う鉄筋コンクリートの階段があった。

あたかもRPGの洞窟内で、ボスの近くにやってきたかのような緊張感である・・・(`・ω・´)

ドキドキしながら階段を上ると、「ここにボスがいます」と言わんばかりのお堂があった。

ああ、なんということだ・・・(゜o゜)

なにが「なんということだ」なのかはさっぱり分からないが、とにかくそんな心地でお堂の正面に立ちつくした。

f:id:kamisama-ni-sugaro:20190307061326j:plain

正面扉は閉ざされていて、自分で扉をぎぎぃ・・・と開けて中に入らなければならないらしい。ふふふ、なかなかニクイ演出をしてくれるぜ。

悦に浸ってニヤニヤしていると、ふいに扉が開いて、中からおじさんがひょいと出てきた。おおっ!びっくりした。先客さんでしたか。おじさんはとても寡黙な感じのおじさんで、俺に軽く会釈をすると、そそくさと もと来た階段を下りて行った。ニヤニヤしてたの見られたかもな~・・・(-_-;)

ま、それはそれだ。いよいよ次は俺の番。じゃあ、入るぞ・・・

ぎぎぃ・・・

はうあ!!Σ(゚Д゚)

f:id:kamisama-ni-sugaro:20190307061729j:plain 

な、なんという神々しさ・・・いや、仏々しさ?

男性型の観音様でありながらこのしなやかな体躯。緩んだ右手の色気。川がせせらぐ如き美しい衣文・・・。口元をきゅっと引き締めた表情がまた、印象的だ。

誰だってひと目でわかる。この観音様が特別な存在であること。

 

よ、よし・・・納経するぞ・・・ゴクリ。

観音様の前に添え置かれた磬子(けいす:よく仏壇前に置いてあるチーンで鳴らすお椀の、大きいタイプ。棒で軽く叩くと「ごーん・・・」という鐘のような音がなる。)を鳴らし、「観音様、参拝に伺いました~・・・」とお知らせする。家のチャイムみたいなものだ。それからお賽銭。普段の参拝は10円だけど、あまりにもありがたい観音様だから、100円入れちゃう。ちゃりーん。

 

かんじーざいぼーだーぎょーじんはんにゃーはーらーみーたーじーしょーけんごーうんかいくーどーいっさいくーやく・・・(~o~)

南無大慈大悲観世音菩薩、南無大慈大悲観世音菩薩、南無大慈大悲観世音菩薩・・・。

観音様、どうかどうか私を苦しみからお救いください・・・。

 

いや~・・・来てよかった・・・(`・ω・´)

納経を終えて、お堂の暗闇に浮かび上がる観音様を見つめながら、俺は昔読んだ本のことを思い出していた。その本は、神仏習合(しんぶつしゅうごう)に関する本だった。

 

神仏習合とは、神様仏様ごちゃまぜ現象のことである。

おおよそ平安時代(800年頃)~江戸時代(1870年頃)まで、日本では神様と仏様は今のように明確に区別されていなかった。この神様の正体は実はあの仏様だよ、といった具合で、神様を拝んだら知らないうちに仏様も拝んだことになっていた、というのが普通であった。実に日本人らしいテキトーぶりである。

明治時代になると、天皇を中心とした国を造ろうという政府の思惑のもと、神様と仏様が分離された。なぜそんなことをしたかというと、天皇の祖先が神様(アマテラス様)だからである。国の中心になってもらおうというお方の出自がデタラメだと格好がつかないから、そのへんはしっかりしとこうぜ、ということだ。

 

で、その神仏習合を扱った本の冒頭で、聖林寺・十一面観音について書かれていたのである。

神仏習合解消の過程でこの観音様が辿った悲劇的な経緯は、筆者の心に強く響いたらしい。それは、だいたい以下のような話だった。

 

------------------------------------

聖林寺・十一面観音は、もともとは大神神社(おおみわじんじゃ)に祀られていた。今では大神神社の摂社となっているオオタタネコ神社が、昔は大御輪寺(だいごりんじ)というお寺で、観音様はそこの御本尊だったという。

大神神社の中で、大御輪寺がどのような位置づけだったのかはよく分からない。ともあれ、神社の中にあるお寺の御本尊というのが、本来の観音様の立場であった。

しかし、先にも述べた明治政府の思惑にもとづいて、神社とお寺は分離されてしまう。大御輪寺は半ば無理矢理オオタタネコ神社にされてしまった。

「お寺じゃなくて神社になったから、もう仏像なんていらないよ」とばかりに、哀れ観音様は縁の下に打ち捨てられてしまった。

そのこと知り、ひどく心を痛めた一人の外国人がいた。アーネスト・フランシスコ・フェノロサである。

彼は明治政府のお雇い外国人で、当時の日本の学校で政治や哲学を教えるかたわら、日本の美術品に心を奪われたナイスミドルであった。

フェノロサが観音様を引き取ってくれるお寺を探したところ、聖林寺がO.K.をくれた。彼は当時の聖林寺のご住職や小僧達とともに、エッコラエッコラと荷車で観音様を運び、ポケットマネーでささやかな厨子を造り、その中に観音様を安置した。

こうして観音様は長らく聖林寺ご本尊のお地蔵様の右隣りの部屋にいらっしゃったが、今ではきちんと観音様専用のお堂が立てられ、そこに祀られている。

めでたしめでたし。

------------------------------------

 

フェノロサ、渋いことするね~(*´ω`*)

とかって感心してたら、聖林寺の公式ホームページに「巷間伝えられる、廃仏棄釈で放追せられたというのは事実ではない」って書いてあったΣ(゚Д゚)

 

え、どゆこと?(゜o゜)?

嘘なの?あの格好いいエピソード、嘘なの?(・o・)?

悲劇の観音様じゃないの?(´-ω-`)?

 

大御輪寺の御本尊だったっていうのは、公式見解らしいんだけどね。

・・・まあいっか。どんな経緯であれ、この観音様が別格の美しさとありがたさを持つ観音様であることに変わりはないのだ。

俺は合掌・一礼して観音堂を後にした。

聖林寺のある高台からは、美しい三輪山の姿が見える。三輪山は遠い昔、観音様が祀られていた大神神社御神体として知られている。

かつての居場所を遠くに望めるこの場所で、今日も観音様はすらりと優雅な御姿で、参拝者を迎えてくださる。ありがたやありがたや。合掌・・・(*´ω`*)

(完)

スポンサーリンク