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【M1】ジブリ映画「風立ちぬ」を観て ~おっさん感想文~ (ネタバレ注意!)

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神様とか仏様とは何の関係もない記事でーす。

もうね、だんだん疲れてきたしね。これからは好き勝手やることにした。俺は書きたいことを書くんだ ♪(´ε` )

ということで、映画「風立ちぬ」の感想文です。もう6年前の映画なんだね、コレ。

 

この世ではただ生きていくだけでも、並々ならぬ力が必要だ。

生きるためには、たとえ弱々しくても一歩を踏み出さなくてはならない。それがなくては、昨日と同じような退屈な一日ですら生き抜くことは出来ないのだ。

そして多くの場合、その一歩を踏み出すためにはきっかけがいる。それは嵐のように猛烈なときもあるし、そよ風のようにさりげないときもある。体さえ動くのなら、一歩を踏み出す力なんて誰もが持っている。それなのに、その些細な一歩ですら、踏み出せないことがある。何か後押ししてくれるものの存在、一歩を踏み出す、きっかけになってくれるものの存在・・・映画の中で「風」と呼ばれているもの・・・がなければ、たとえ力を持て余していても、どこにも行けない。人間にはそんな弱さがある。

風立ちぬ」の魅力は、主人公ジローに人生を歩ませる目には見えない「風」の存在を、常に感じさせるところにあると思う。

 

美しい飛行機を造ることを夢見るジロー少年は設計士の道を歩み、やがて飛行機製造会社に入社する。ただただ夢に突き動かされていたこの頃のジローは、生きる力に満ち溢れていた。

尊敬するカプローニが夢の中から問いかける。

「まだ風は吹いているか、日本の少年よ」

「ハイ!」

「では、生きねばならん!」

ジローは仕事に夢中だった。二つ返事で返した「ハイ!」には、普段はクールなジローの並々ならぬ熱意がこもっている。若いころは怖いもの知らずだ。生きるために必要な風は、他でもない自身の心の中から途切れることなく吹き続ける。

でも、そういう状況は永遠には続かない。

歳を重ね、現実を見て、触れていくにつれ、満ち溢れていた自信が削がれる出来事も経験する。こっぴどい挫折はもっとも典型的な例だ。ジローもまた、そんな挫折を経験する。自身が任された戦闘機の試作機が空中分解を起こしてしまうのだ。

すっかり意気消沈してしまったジローは、田舎の避暑地で休息をとる。天才肌だったジローにとって、挫折はことのほかショックだったに違いない。

しかし、ここでヒロイン・ナオコとの運命の出会いを果たし、二人は恋に落ちる。それと同時に、元気をとりもどすジロー。彼の心に、再び風が吹いたのだ。それも、生まれて初めての、自分の外からやってくる風が。

今度の風は、怖いもの知らずだった頃に吹いていた向こう見ずな風とは少し違っていた。それは、安らぎと、温もりと、そして大きな悲しみを帯びた風だった。ナオコは結核を患っていて、病気はすでに彼女の体をひどく蝕んでいたのだ。それでもジローは、彼女に婚約を申し出る。

今や、彼女なくしてはジローの心に風は吹かなかった。挫折を経験する前の、彼女と出会う前の、向こう見ずな自分にはもう戻れない。それほどの経験を、積んでしまっていた。歳をとったと言ってもいいかもしれない。もはや自分一人では、人生に立ち向かうことなんてできなかったのだ。

しかし、なんであれ風は吹いた。そしてジローは再び歩み始める。

 

ジローにとって、恋の時間は葛藤の時間でもあった。

夢であり、仕事でもある飛行機づくりを、ジローはやめるわけにはいかなかった。仕事をするジローは真剣そのもので、かつての初々しさはもはやなく、社内きっての敏腕設計士として、同僚たちを引っ張っていく立場にあった。

一方で、心の支えであるナオコの病状は悪化の一途をたどり、ついには高原の療養所に入院してしまう。

 

恋しさのあまり高原の療養所を降りてやって来たナオコを抱きしめ、ジローは帰らないで、と懇願する。これは悲しい決断だった。それは何が何でも治りたいというナオコの気持ちをさえぎり、医者の卵である妹や、上司の黒川が指摘するように、ナオコの病状を鑑みていないとも捉えられかねないものだった。

しかしおそらくは、本当は誰もがナオコの回復の見込みはないと見ていたのではあるまいか。当時、結核は不治の病と認識されていた。まして吐血するまで病状が進んで、治ったなどという話は聞いたことがない。それでも、周りの人達はみな人情からそういうことをはっきりと口にすることは出来なかっただろうし、また、治ると信じたかったのだろう。

しかし天才設計士であるゆえの冷静さがここで働いたのか、ジローは状況を的確に把握し、残された時間で、二人が出来る最良の生き方を提示した。少なくとも、俺にはそう思える。現にジローは「僕たちには時間がないんです」「覚悟はしています」などと発言している。

なにより、直後の結婚こそが、まさに二人の覚悟のあらわれであったと思う。「病気が治るまで結婚は待ってほしい」というのが、婚約をしたときのナオコの想いだった。それを破棄して結婚したところに、ジローとナオコの悲しくも強固な想いを確認することができる。

夫婦となった二人は、互いに支え合いながら残された時間を生きていく。ナオコは、飛行機づくりに邁進するジローを包み込む美しい風であり続けた。ジローもまた、ナオコの風であり続けたのだと思う。短い余命を予感させるこの時期のナオコが精気に溢れていたのは、仕事に打ち込むジローの姿を間近で見ていたからに他ならない。

ジローが大仕事を終えたのを見届けたナオコは、誰にも告げずに高原の療養所に帰ってゆく。「美しいところだけを、好きな人に見てもらったのね」・・・黒川夫人の言葉が胸に刺さる名シーンだ。 

 

ナオコという風を失ったジローに吹いた新たな風は、ナオコと二人三脚でつくりあげた試作機の大成功だったのではあるまいか。

この大成功の風に乗って、ジローはついに最高傑作「ゼロ戦」を造り上げる。敵国を恐怖のどん底に陥れたこの恐るべき戦闘機こそ、ジローの夢の結実ともいうべき機体であった。

ジローは、ただただ夢に邁進してきた人である。劇中でも度々描写されていたように、日本の戦争に対するスタンスには終始反対気味だった。それでも、日本で飛行機づくりに携わるには軍用機を造る以外の道はなかったから、そのことに疑問を抱くことはなかった。それに、軍用機に要求される高度なスペックに挑戦することは、大きな喜びだったことだろう。

ジローの飛行機にかける情熱に、事の善悪は関係なかった。結果として、少年の頃に思い描いた、美しい飛行機を造りたい、というその夢は、戦闘機である「ゼロ戦」として見事に結実した。 

 

映画は、はじまりの草原でカプローニと再会するシーンで幕を閉じる。

終戦を迎えたジローは、疲れ切っていた。少年の頃から尊敬していたカプローニの労いと称賛の言葉に、耳を傾ける余裕すらなかった。「地獄かと思いました」「終わりはズタズタでしたが」「一機も戻って来ませんでした」口から出る言葉はすべてネガティブで、声には潤いがなく、目は虚ろだ。

自身の青春と、持てる力の全てを振りしぼって成し遂げた夢の結実は、結果として多くの人々を幸せにするものにはならなかったし、分かりやすい形で称賛されることもなかった。それどころか、一機たりとも自分の元へ帰ってはこなかった。戦争には負け、祖国は滅亡した。もはや、ジローの心に風は吹いていなかった。生きるために一歩踏み出すことなど、出来るはずもない。

だけれども、そんな地獄と間違えんばかりの夢の結実の草原で、ナオコは待っていてくれた。

「ナオコ!」ふいに心を取り戻したジローは亡き妻に向かって呼びかける。

「生きて」あの頃のようなまばゆい笑顔でそう伝えて、掻き消えてしまうナオコ。

感極まって、何度も頷くジロー。「ありがとう、ありがとう・・・」

ナオコは今また、全てを失ったジローが一歩を踏み出すための風になってくれたのだ。

風立ちぬで描かれるこのような夢のシーンは、色んな解釈が出来る。このシーンは、ナオコの魂?のようなものが本当にジローを待っていたと捉えてもいいし、ジローの心の中に生きるナオコが、今でもジローの風であり続けていた、と捉えてもいい、と思う。ちなみに俺は、欲張りにもその両方であると捉えている(・∀・)

すべてを失ったジローにささやかな風だけを残して、去っていったナオコ。

きっとジローは、このあと素敵な人と再婚して、幸せな人生を歩むのではないかと思う。もちろん、ナオコのことを生涯心に留めながら、生きていくのだろう。

 

人は誰だって、風の中で生きている。振り返れば、俺の些細な人生でさえ、風が完全に止むことがなかったから、今もこうしてなんとか生きている。

自分で風を起こせるほどの若さを失った今、自分の風になってくれているものへの感謝を忘れてはいけないなあ、と思う。そしてあわよくば、自分が誰かの風になれたらなあ、とも。

 

「風が立つ。生きようと試みなければならない。」

今、あなたの心に吹いているのは、どんな風ですか?

(完)

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