いまだ!神さまにすがろう!

人も自分も頼りにならない!もう神さましかいない!

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【53】日本一の神域、伊勢神宮に行ってきた その4「実在する神さま」

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手水舎で身を清め、いよいよ拝殿は近い。

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清流・五十鈴川で身を清めることも出来る。みんな紅葉に夢中だけど・・・。

(続き)手水舎あたりを境にして、開放的な境内の雰囲気は変わる。森が深くなり、樹齢の深いヒノキだかスギだか、まっすぐにスラリと天を衝く巨木に覆われ、霊妙な佇まいを見せはじめる。

 

木の樹齢は外宮よりもさらに深く、幹はぶっとく、そして本数は多い。他の神社であれば間違いなく御神木クラスの巨木も、内宮では普通の境内樹である。それでも、これらの木々を見上げる人々はみんな一様に畏敬を念を抱くのではなかろうか。

そんでもって、思わずペタペタと触りたくなるのである(`・ω・´)

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御神木であれば柵があって触れないけど、御神木というわけではないからフツーに触れちゃう(・∀・)

境内樹にペタペタ触ることについて、あまり好ましく思わない人もいるようだ。

だけどまあ、上の木は御神木というわけではないし、禁止の貼紙がしてあるわけでもないし、個人的には別にいいんじゃないの?と思っている。かくいう俺もペタペタ、ポンポンと触ってきた身である。さすがに抱きついたりペロペロと舐めまわしたりするのはアウトだとは思うけどね。それは公序良俗的な意味でね。

「うお、触ってみてえ!」という気持ちは、目には見えない何かしらのパワーを感じとっている証拠で、そのこと自体は八百万(やおよろず)の神々に対する信仰の原初の姿である自然崇拝を、そのままの形で素直に受け継いでいると言えるのではあるまいか?まあ、畏敬の念より親しみのほうが前面に出てはいるけれど。

後になって神社側から「言わなくても分かってもらえると思ってましたけど、言わなくちゃダメみたいですね。これから境内樹に触れるのは禁止にします。」なんて言われたら、そのときに素直にショボーンと反省します。だ、だって、触りたかったんだもん・・・ごめんなさい(;´Д`)

 

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鳥居の向こうには拝殿がある。撮影できるのはここまで。ちなみに、真ん中に立ってる主役っぽいのは俺ではありません。

ここまで来ると、ただならぬ「ゴゴゴゴ・・・」感がある。完全に神様いるだろコレ・・・Σ(゚Д゚)

 

鎌倉幕府が定めた武家御成敗式目には、「神は人の敬により威を増し 人は神の徳によりて運を添う」と記されている。この文言はつとに有名で、現代でも場末の神社なんかによく貼紙がされている。

とても簡潔で明瞭な見解だと思う。そして、わりと科学的と言えるのではあるまいか。つまり物理的な意味ではなく、精神的な意味において。

 

たしかに、多くの人が神さまを敬えば、当然神さまの威光は強大になるだろう。そして、多くの人の信仰をあつめた強大な威光をもつ神さまに熱心にお参りする人を、まわりの人はなかなか無下に扱えない。「あいつ、あの神さまに気に入られてるってよ・・・ヒソヒソ・・・」とか噂されて、図らずも虎の威を借る狐みたいになったりして、一目置かれるかもしれない。また、信仰している当の本人も、強力な後ろ盾を得て精神的にずいぶん安らぐのではあるまいか。その結果、自信を持って生きることが出来たりして。その自信がさらに周りの人に一目置かせ・・・と、御利益はグルグルとループして膨らんでいく。まさに「人は神の徳によりて運を添う」である。

 

内宮の境内は、他の神社では及びもつかない神威に満ちている。上に書いた「ゴゴゴゴ・・・」感とは、それを自分なりに表現したものだ。そして、それはひとえに「神は人の敬により威を増し」の結果ではないかと思う。

つまり、これまで伊勢神宮に参拝に来た人の数、及びその信仰の質が、他の神社に比べて圧倒的に高い水準にある。ゆえに、神さまの存在が実際に肌で感じられるほどのリアリティを帯びるのだ。2000年もの長きにわたり執り行われてきた神職達による祭事や、絶え間なく向けられる人々の想いが、目には見えない神さまを形づくり、その威光を日々強大にしていく。

俺は内宮に来て、はじめて、はっきりと、「神さまは本当にいらっしゃるんだなあ・・・」と実感した。それは、「そう考えることができるよな」などという利口な認識ではなく、「いる」という確信である。

 

拝殿での参拝はすぐに終わる。というか、例によってすぐに終わらせなきゃ後がつかえる。拝殿にお賽銭箱はなく、代わりに白い布が敷いてある。俺は布の上に10円をそっと置き、二礼二拍手一礼。

「祓い給い清め給え。神(かむ)ながら守り給い幸え給え」

外宮では心の中で早口で三度唱えることができたが、内宮では一度で手一杯。後ろのプレッシャーがすげえ(~o~) 平日ならまだマシだったかもな。今日、土曜日だもんな。

 

なんであれ、お伊勢さまに参ることの出来る日は、良い日である。

あとはもう、帰るだけだ。(続く)

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